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   第8日 追浜〜鎌倉(その1)

                           歩いた距離 12.2km    2002.07.06    

 浦賀道と六浦道が分岐する諏訪之橋から鎌倉まで行くために、京急の追浜で下車する。

 16号のアーケードの歩道を金沢の方に逆行して再び横浜市にはいる。

 郵便局の先の斜めの道を左に入る。この道が浦賀道である。
住宅がびっしり建っているが、たしかに道の曲がり方が旧道のようだ。

嘉永元年(1848)の厄除け題目宝塔が立っている。

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 京急逗子線の踏切の手前に庚申塔が2基立っている。

 享保9年(1724)と寛文10年(1670)のもので、
青面金剛が天の邪鬼を踏みつけていて三猿は台石の方に
彫られているものと、三猿だけのものである。

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 侍従川に沿っていく。

 昔の海路の渡し場であったという三艘橋がある。
しばらく行くと前回通った侍従橋、その隣が浦賀道と
六浦道の分岐点といわれる諏訪之橋である。

 川の曲がり方がゆったりしている。

 六浦2号橋で、原宿・六浦線にでる。これが六浦道である。

 道は商店街になっていて、大道橋を渡り西へ行く。

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 上り坂になるところに、崖に彫り込まれた
「鼻欠け地蔵」がある。

 風化して鼻が欠け落ちているため、この名が
ついたという。

 ここが武蔵の国と相模の国の境界にあることから
「界(さかい)地蔵」ともいう。

 大きな磨崖物で輪郭がゆったりとしていることがわかる。

 急に緑が増す。朝比奈バス停から左の細い道に行く。

 いよいよ朝夷奈(あさいな=朝比奈)切り通しである。

 この切り通しの道は、鎌倉と六浦を結ぶもので、仁治2年(1241)から改修工事が行われた。
「当時六浦は塩の産地であり、安房、上総、下総をはじめ海外(唐)からの物資集散の港」
でした。

 入り口に庚申塔が5基ある。

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 緑の中の石畳の上り道。
 道の両側が切り立っている
ところに、工事用の安全柵が
置かれている。

 平成10年に来たときは
崖の途中に穴が掘られていて、
そこから外敵に矢を射かける
防御陣地となっていたが、
崩落したのか今日は
気づかなかった。

 左の細い道を行くと、熊野神社である。
「源頼朝が鎌倉に覇府開くや、朝比奈切り通しの開削に際し、守護神として熊野三社大明神を
勧請したという」。

kanas8-10.JPG kanas8-09.JPG  杉木立ちの一角を開いた小さな
神社で、石段を上った奥の本殿の
前に昭和2年(1927)の
「はじめしょうわ」狛犬がいる。

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